悪性中皮腫と細胞診
<<はじめに>>
悪性中皮腫、いわゆる中皮腫はアスベスト暴露に関連する病変で、最近
旧クボタ石綿管工場近隣住民の中皮腫事例が社会問題化し、中皮腫が注目されるように
なった。中皮腫は鑑別すべき腫瘍が多いため、その確定診断には多彩な診断を用いる
必要があるだろう。そのなかで、細胞診とはどのように行われるのか、どのような特徴の
細胞によって中皮腫と診断しているのか。私はそのことについて興味を持ち、今回の
レポートをまとめることにした。
<<選んだキーワード>> ・中皮腫 ・細胞診
<細胞診>
そもそも細胞診とは、放射線診断やエコー検査といった画像診断では判断できない、
「炎症か、腫瘍か。腫瘍なら良性か悪性か」といった質的診断を行うことであり、今回
取り上げる中皮腫の他にも乳癌、肺癌、子宮頸癌などの診断にも用いられる。また、
細胞診の際には同時に採血、採尿を行い身体の異常の有無を調べることもある。診断は
病変部から細胞を採取したのち、細胞を染色液で染色し、その細胞が持つ特徴を明確に
して顕微鏡によりその特徴により診断が行われる。染色法としてはパパニコロウ染色が
代表的で、これによる細胞の分類をパパニコロウ分類という。
<胸膜生検>
中皮腫において組織診断を得るための検査法はいわゆる胸膜生検であるが
経皮的胸膜生検と内視鏡下胸膜生検に分けられ、それぞれに多様な生検法が存在する。
1.経皮的胸膜生検
・盲目的経皮的胸膜針生検 壁側胸膜を針を用いて生検する試みは1955年に始めて
紹介され、以降ギロチン型、鈎型、吸引型、ドリル型などの針が開発、利用されて
いる。
・画像ガイド下経皮胸膜生検 CTまたはエコーガイド下生検がこれに含まれ、
画像支援下のもとに経皮胸膜生検が行われる。胸部CTにて胸膜病変が明らかな
場合に特に有効である。
2.内視鏡下胸膜生検 経皮的胸膜生検において診断がつかない場合に
有用である。施術によって胸部に開ける孔の数や麻酔の使用、用いる内視鏡の
種類を変える。
・硬性鏡を用いた胸膜生検 硬性鏡という、筒の両端にレンズの付いたシンプルな
構造の内視鏡を用いた胸膜生検である。
・軟性鏡を用いた胸膜生検 軟性鏡という、柔軟な素材を用い 手元の操作で
挿入部の先端の方向を変えることのできる内視鏡を用いた胸膜生検である。
いずれの内視鏡も、直接接眼レンズをのぞいて、あるいはビデオカメラを接続して
モニターに映して観察する。また、カメラを内蔵した小型カプセルを飲み込み消化器官を
撮影する画像診断システムの開発も進められており、患者への疼痛や不安といった負担の
軽減が期待されている。
<局所麻酔と全身麻酔>
麻酔についてであるが、一般に局所麻酔下で実行しうる手技は全身麻酔下でも
可能であるが、逆は時に困難となる。局所麻酔下に行うか全身麻酔下に行うかといえば、
疼痛や患者の不安、出血などの合併症に対する対処のしやすさなどを考慮に入れると
全身麻酔の方が安全と思われる。
<鏡視下所見>
また細胞診において病変部から細胞を採取する際に内視鏡などで病変部を肉眼的に見る
場合にその鏡視所見が診断の手助けになる場合があるため施術の際は見落とさないように
する必要がある。中皮腫の場合には蒼白で硬く血管に乏しい白苔を伴う胸膜肥厚が見られ、
さらにその肥厚の上に隆起性病変が存在する。結節腫瘤やぶどうの房状結節が特徴的で、
多くはびまん性の大小不同の隆起性病変を認める。また中皮腫では、癌性胸膜炎と
比較してフィブリンの析出や胸膜癒着は軽度である。中皮腫の場合 臓側胸膜進展は
60%にみられるが、臓側胸膜病変の有無や横隔膜への浸潤が予後に関与するとされており、
胸腔鏡観察は予後予想の一助となりうる。いずれの病態においても、これら所見が全例に
みられるわけではなく、異常胸膜を生検し、病理組織学的ならびに細菌学的診断を
確立する。
ここで一度、中皮腫という疾患の概要をまとめておく。中皮腫3分の2以上はアスベスト
曝露と関連している。男性により多く、平均年齢60歳で 腫瘍は臓側、壁側いずれの
胸膜からも起こり、初期には多発性の結節または斑状で、胸膜繊維化と多量の胸水を伴う。初発症状は胸痛と呼吸困難が多い。進行するとびまん性に一側肺全体を取り囲み、肺内、
横隔膜、胸壁に直接浸潤を呈する。予後は非常に悪く、平均生存期間は発症から
12〜15ヶ月である。組織学的に定型例は上皮成分と非上皮成分の二相性を示すが、
いずれか一方が優勢なものは上皮型あるいは非上皮型悪性中皮腫と呼ぶ。また
アスベストにより中皮腫のみならず肺癌の発症の可能性もあるので両者の鑑別が
細胞診において必要となってくる。
<組織像>
中皮腫には上皮型、肉腫型、二相型、低分化型という四つの大きな組織型があり、胸腔の
中皮腫の50%が上皮型、二相型が25%、肉腫型が15%、残りが低分化型か分類不能型で
ある。
・上皮型の特徴 腫瘍は乳頭腺管状の増殖を示し、腫瘍細胞は立方状あるいは扁平で、
核は概して均一で、明瞭な核小体を持つ。腺癌や血管肉腫に類似した像を示すことも
ある。この場合、核には多形性・異型性が強く、多核巨細胞の出現や、細胞質の
空胞が目立つことがある。
・肉腫型の特徴 腫瘍細胞は紡錘形あるいは楕円形の細胞からなり、他の肉腫に
特徴的な組織構築は示さない。類骨や軟骨が形成されることもある。繊維化の高度な
例では、反応性の胸膜の繊維化と鑑別が困難な例もある。
・二相型の特徴 上皮様と肉腫様の両者の成分が見られる。
・低分化型の特徴 多形性に富む腫瘍細胞が見られる。
「悪性中皮腫の組織像」
<細胞像>
中皮腫の細胞像としては以下のような点が挙げられる。
@豊富な細胞集塊の出現
A核中心性の立方状細胞
B核異型の出現
C細胞の大型化・多核化
D大型核小体の出現
E厚い細胞質
F細胞間の間隙
G細胞表面の刷子縁様の毛羽立ち
H扁平上皮様細胞の出現
@ 中皮腫が上皮型あるいは二相型の場合 最も重要な所見は豊富な細胞集塊の
出現である。重要なのは、中皮腫では重積性の強い三次元的な集塊が特徴的で
あることで、良性中皮細胞状の集塊とはこの点で大きく異なる。
B 悪性中皮腫は 核異型は必ずしも強くない場合もあり、核異型のみから悪性と
判断できるのは50〜75%であるという報告もある、核のクロマチン過染性は通常軽度で、
核形不整は一部の例である。
C 細胞の大型化は、反応性中皮細胞より悪性中皮腫細胞で顕著である。細胞の大型化は
通常核腫大も伴い、N/C比は一定であることが多い。
D 大型核小体の出現は、これだけで悪性を示唆する所見とはならないが、多数の細胞で
見られた場合には悪性中皮腫を疑う必要がある。特に、分化の良い悪性中皮腫では
大型の核小体が出現することが多い。
E〜H 悪性中皮腫細胞の細胞質は豊富で厚く、染色性は子宮頚部の扁平上皮化生細胞と
類似する。また、中皮腫細胞は細胞表面に長い微絨毛を持つため、細胞質の辺縁部に
刷子縁様の毛羽立ちが見られたり、隣接する細胞間に「window」と呼ばれる間隙が
生じる。悪性中皮腫のパパニコロウ染色では 非常に小さい変性したオレンジG好性の
細胞質を持ち、濃縮した核を持つ細胞が時々見られ、変性した扁平上皮細胞に類似し、
扁平上皮様細胞と呼ばれる。この細胞は扁平上皮癌以外では出現頻度が非常に低く、
悪性中皮腫を示唆する重要な所見である。細胞相互封入像は中皮腫でしばしば
観察される。細胞質に空胞が見られることもまれではない。悪性中皮腫では、集塊の
中心に膠原繊維よりなる基底膜様物質が見られることもある。悪性中皮腫は
グリコーゲンに富み、子宮頚部に妊娠中に出現する舟状細胞に類似することがある。
時に、悪性中皮腫は大量にヒアルロン酸を産生し、これが独特の網目状構造として
背景に見られることがある。
「悪性中皮腫の細胞像」
<免疫細胞化学>
免疫細胞化学で悪性中皮腫の鑑別に用いられる抗体には様々なものが知られている。
腺癌に陽性で、悪性中皮腫では陰性になるものに、CEA、Ber-EP4、LeuM1などがある。
逆に悪性中皮腫に陽性率が高く、腺癌で陽性率が低いものに、カルレチニン、HBME-1が
ある。また、悪性中皮腫ではケラチンとピメンチンとが同時に陽性になるのが重要な
特徴である。EMA(epithelial membrane antigen上皮膜抗原)は反応性中皮細胞と
悪性中皮腫との鑑別に有用である。反応性中皮細胞では、EMAは陰性か部分的に弱陽性を
呈するが、悪性中皮腫では細胞膜に一致して強陽性となる部分が見られる。注意を要する
のは、悪性中皮腫では必ずしもびまん性に強陽性ではなく、一部の細胞だけが強陽性では
なく、一部の細胞だけが強陽性になることもある点である。
<鑑別診断>
悪性中皮腫の細胞診には重要なポイントがある。一つは反応性の中皮細胞と悪性中皮腫の
鑑別であり、もうひとつが悪性中皮腫と他の悪性腫瘍の鑑別である。
・悪性中皮腫と反応性中皮細胞の鑑別
体腔液に多数の大型細胞集塊が出現している場合はまず悪性を想定してよい。
特に体腔液に乳頭状集塊が見られれば、悪性中皮腫が強く疑われる。ただし、
心のうや腹腔の場合には、反応性中皮細胞も大型集塊を形成する場合がある。
肺梗塞や陰?水腫では反応性中皮細胞集塊が多数出現することがあり、特に注意を
要する。反応性中皮細胞では核の異型を伴うことがあり注意を要する。孤立散在性の
中皮細胞に核異型が見られても、その所見だけで悪性中皮腫と診断するのは
危険であり、他の所見を参照すべきである。
分化の良い悪性中皮腫では、異型の乏しい多数の孤立散在性細胞と小型細胞集塊が
出現することがあり、細胞像より悪性と判断するのはかなり困難である。しかし、
出現細胞数が非常に多く、そのほとんどが中皮細胞の場合、悪性中皮腫を疑うべき
である。
・悪性中皮腫と癌の鑑別
転移性癌で最も中皮腫と鑑別を要するのは、乳癌と卵巣癌である。腺癌では
集塊辺縁は平滑で、細胞は円柱状で核は偏在するが、悪性中皮腫では集塊はぶどうの
房状で、細胞は立方状で核は中心に位置する。また、悪性中皮腫では中皮細胞のみが
単一の細胞集団として出現するが、癌では中皮細胞と癌細胞が別の細胞集団として
認識される点も有用である。中心に間質を伴った大型の乳頭状集塊は悪性中皮腫の
診断においてきわめて重要な所見で、腺癌ではこのような集塊の出現はまれである。
<<考察>>
悪性中皮腫はその診断において細胞診が功を奏しているが、残念ながら治療方法の
確立までには至っておらず、予後も良いとはいえない。アスベストが使用された時期を
考慮すると悪性中皮腫ならびに肺癌の患者数は増加していくが、不顕性曝露も
存在するため今後の患者数の推移を予測することもできない。このような状況の中、
アスベスト使用の全面禁止は何故か未だに達成されていない。中皮腫の治療法の研究を
筆頭に、中皮腫患者数の推移の予測や医療機関側の患者の受け入れ態勢の確立など、
この問題の解決にはどうしても行政の介入が必要であろう。まずはアスベストの全面
禁止を実行してこれ以上の中皮腫の発生を防いだ後、中皮腫患者への補助・救済措置を
とるべきである。もちろんこれはアスベストを周辺へ図らずとも散布してしまった
企業側も この救済に一助をなすべきである。
<<まとめ>>
悪性中皮腫自体が稀な病気であるためか、現在の治療法はあくまで対処療法であり
単なる延命措置であるとも言える。疾病としての特徴がこのように詳細に解析できて
いながら患者の治癒がのぞめないというのは医師にとって歯痒いものだろう。ただ、
近年悪性中皮腫にある程度の効果を挙げる治療薬が承認されており、悪性中皮腫の
治療法の確立までに一歩ずつ近づいているのも事実である。悪性中皮腫患者の
もれのない救済を切に望む。